
私たちの訪問看護ステーションでは在宅看取りを希望する人を多く受け入れています。
最近少し考えさせられる事例がありました。
退院してきたときには、もう余命は日にち単位と言われていました。
それでも食事は少しずつとれ、トイレだけは歩行出来ていたのです。
しかし、数日後、突然起き上がれなくなりました。それから傾眠傾向となり無呼吸が見られるように。
家族もいろいろな勉強をしており、呼吸状態など注意深く様子を見て報告をしてくれました。
そしてある日の夜中、緊急の電話が鳴りました。「呼吸をしていない」と。
訪問してみるとすでに呼吸も心拍も止まっており、医師により確認が行われました。
そんな家族が一言。「私がちょっと寝ている間に…気がついたら呼吸が止まっていて…ごめんなさいね」と。
家族は自分が寝落ちしてしまったため、呼吸が止まったことに気が付かず責任を感じてしまっていたのでした。
在宅看取りを決めたら、ずっと見ていないといけないのか?
在宅看取りを決めたからといって、家族がずっと見ていなければいけないというわけではありません。
もちろん家族が付きっ切りで交代で見守っているお宅もあります。しかし、介護者一人以外家族がいないこともあります。
また仕事や買い物のため家を空けることもあるでしょう。それぞれの事情もあるので、常時見守りをすることは不可能なのです。
在宅では、介護と生活が平行して行われています。そのため、介護をしながら仕事をする、介護をしながら家事をするといったことが当たり前なのです。
私たちがよく同行する医師の在宅看取りの説明の中で、よく言われることがあります。最期の時が近いからといって、常時見ておかなくてはいけないわけではなく、大切な仕事や買い物にも行っていいのですよ。
介護疲れを取るためにしっかり休んでください。万が一呼吸が止まっていても、それはあなたのせいではありませんよと。
今回の事例では、自分が気が付くべきだったという娘さんの後悔がひしひしと伝わってきました。
しかし、寝ている間に静かに亡くなったということは、本当に安らかに安心して旅立たれたという意味。亡くなったとはいえ、表情も本当に微笑んでいるようでした。
私はその娘さんと最期のお世話を一緒に行いました。まだ温かい体をふきながら、いろいろな話をしました
。娘さんが裾上げをしたという浴衣を着せた時、もともと小柄な利用者さんでしたが、それ以上に浴衣はつんつるてんで「短すぎたわ」笑いもありながら、最期のお世話をすることができました。
死の瞬間に立ち会うというのは、大切なことかもしれません
在宅で看取りをするときには、必ずしも立ち会えるわけではありません。
しかし、家の空気感、雰囲気の中で亡くなることは、本人にとって決して寂しいことではないでしょう。
私たちは表情をそう感じることができます。
そんな在宅看取りを決めた家族に私たちは何ができるでしょう。
最期の時を迎えるまで、後悔がないように一生懸命サポート出来たらなと常に心掛けながら訪問を行っています。
そして、利用者本人が亡くなった後もそこで生活を続ける家族がいる以上、看取りがいい思い出となり生活できるようにかかわることが重要だと思っています。