
病棟勤務の時はほとんどかかわることのなかったALS患者
しかし訪問看護師になって、ここまで地域にALS患者がいたんだと実感しています。
経過も人それぞれ、あっという間に気切して呼吸器が必要になってしまう患者もいます。
そのため、精神的なサポートについていつも考えさせられています。
患者の選択をサポートする訪問看護師
数か月前、ALSの嘱託殺人が世間で騒がれました。
あのニュースを目にして、どんな病気でも、生きる権利はある。
病気で戦っている本人に頼まれたって、死ぬことを手助けするのはよくないとさまざまな意見がテレビや新聞をにぎわせました。
そのニュースが流れているまさにその渦中で、自分の病気と命に向き合う利用者の訪問を続けていました。
疾患はまさに同じくALSです。
だんだんと動けなくなり症状の進行と気持ちの葛藤に揺れ動く利用者
だんだんと動かなくなっていく四肢。
一週間前まで出来たことが、今週になってできなくなってきたと日々感じ、愕然とする毎日。
病気を受け入れながらも日々自分の症状の進行と気持ちの葛藤に揺れ動く利用者。
私たちはそんな利用者の訪問に毎日向かう日々の中で起こった事件でした。
この事件が起こった時、私たちは、訪問しているときにこのニュースが流れたらどうしよう。
こんなニュースを聞いてどう思っているのかなと雑談したことがあります。
私だったら同じように殺してほしいと思う、反対に、動けなくなっても生きたい・・・
看護師の私たちですら意見はバラバラでした。
ALSに看護師がなった場合、どう選択するか:選んだ選択には必ず理由がある
ただその話の中で共通していたこと。それは、選んだ選択には必ず理由があるということでした。
例えば、同じように殺してほしいと思う。または呼吸器をつけてまで行きたくないと選択した看護師は、
介護者に迷惑をかけたくないという思いが根底にありました。
反対に動けなくなっても呼吸器をつけて、アイコンタクトしかできなくても生きたいという看護師は、
子供の将来を見たい、孫を見たいという気持ちが根底にありました。
ただALSの将来を知っている私たちは、本人の辛さも介護をする家族の辛さも知っているので、
呼吸器は付けずに命を全うすると選択した人が多かったような気がします。
ALSは進行性の神経難病で、注射や手術、リハビリをすれば治るというものではありません。
そのため将来に不安を感じるのは当然のこと。そしてその大きな分岐点になるのが呼吸器をつけるかどうかという段階になります。
だんだん自発呼吸が弱くなり、横になっていても苦しい感じがする…
呼吸を補助するバイパップを顔に装着しているけれど、これ以上自発呼吸が難しくなったら、気切して呼吸器をつけるかどうかという選択を迫られます。
そこで呼吸器をつけても、将来的にアイコンタクトしかできなっても生きる希望を持てるような環境作りが大切だと言われます。
自分の命の期限、それは誰にもわかりません。
ただALSの場合、自発呼吸が困難になった時、どうするのかということが大きな分岐点になり、それについて人生会議を行うことが必要不可欠です。
その時に私たちが大切にすること。それは揺れている気持ちを承認すること、そして納得できるまで何回も話しあいながら命を見守ることだと思っています。
気持ちの根底には何があるのか、後悔しない生き方を選択することが出来るように本心をくみ取りながら、利用者自身が選択したことを見守っていくことが大切だと思っています。