
訪問看護ではターミナルの方をみることがあります。
依頼がくる時点でターミナルであったり、長い間関わってきた方が病状の悪化によりターミナルに移行する場合があります。
人の死に向き合っていく辛さはとても言葉では言い表せません。
まして、長い間関わってきた方は、ご家族と看護師の関係性も出来上がっていることが多く、
家族同様に死に行く利用者さんを見守り観察していかなければなりません。
自分のメンタルケアも必要になってきます。
死に対してとても身近なものになるので、自分が生きている意味や看護師としての方向性も見えにくくなることもあると思います。
私も死や老いていくことがとても身近なものになったため、自分が生きる意味を考えてしまうこともありました。
正直、今も模索中ではあります。
でもその模索している中で、少しでも訪問看護の醍醐味を感じられたらいいかなという気持ちになってきている気もします。
まだまだ勉強しなければならないです。
訪問看護を始めてから、病院とは違う視点がありました。
病院では病状が良くなって退院して行く経過をみますが、在宅では現状維持もしくは看取りになると思います。
ゴールがそれだとなかなかモチベーションも上がらない気もします。
しかし初めて看取りを行った時、
ご家族からは感謝の言葉をかけていただいた時に、自分の看護師としてのやりがいを見出せたのではないかと思います。
自分ではもっとできることがあったのではないか、もっと利用者さんの気持ちに耳を傾けていけたのではないかと、自問自答することはたくさんありました。
どんな看護を行なったとしても正解はないと思います。
ただひたすらに、利用者さんの最後が安楽であるように、介入していく必要があります。
そして、精一杯今まで生きてきた利用者さんを見届ける、
悔いのないようにたくさんお話する、
直接は言えないご家族への思いも伺うことも大事です。
生きることや家族の絆の素晴らしさを教えていただけたことは他にありません。
また、こういった経験ができるのも訪問看護ならではないでしょうか。
訪問看護は家庭の中に入っていく仕事でもあります。
ある意味、ご家族と同様に利用者さんを診ていかなくてはなりません。
ご家族の意向や利用者さんの気持ちを汲み取り、お互いが悔いのない最後になるよう支援していきます。
最後の過ごした方を家族の意向や利用者さんの意向を汲み取る必要もあります。
長く関わってきた利用者さんが、最終的に入院を選び、そのまま帰ることができなかった時はとてもさみしい思いでいっぱいです。
「いい看取りが在宅でもできるのにな」と、少しだけ自信がついてきている気もしている訪問看護師1年生です。